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状況はファーヴルたち和平派がほっとする流れとなりましたが、ガンベタが命じた立候補制限を取り消すには手遅れで、準備期間も僅か、立候補者も選挙活動がほとんど出来ない国政選挙では何が起こるか分からない状況で、ファーヴルたち(当然立候補しています)和平派は不安なまま投票日を迎えることとなります

選挙は2月8日に実施されました

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 独ベルサイユ大本営は、選挙次第で主戦派が台頭(辞任したとはいえガンベタら主戦派は国会に立候補するはずと考えました)すれば新政府は戦闘再開を命じるかも知れず、そこまで行かなくとも講和条約へ進むことが困難となることも考えられ、油断なく休戦期間を過ごすこととなりました

 休戦協定の中で示された軍事に関する協定は直ちに実行されることとなります

休戦中立地境界線(いわゆる休戦ライン)はセーヌ河口・トルヴィル=シュル=メール(カジノで有名なドーヴィルのトゥック川対岸)から南へ、カルヴァドスとオルヌ両県を二分しマイエンヌとサルト、メーヌ=エ=ロアールとサルト、メーヌ=エ=ロアールとアンドル=エ=ロアール、ヴィエンヌとアンドル=エ=ロアール、アンドルとロアール=エ=シェール、シェールとロワレ、ニエヴェとヨンヌ各県境を進み、コート=ドール県境に至るまでとなっていました(1月29日の協定)

同時に仏北軍が確保していたル・アーブルとノール県などは別途休戦ラインを設け、パリ、ジヴェ、ラングルの三ヶ所も仏支配地とされます

独仏両軍はこの休戦ラインからそれぞれ10キロ下がった線まで後退し対峙することとなるのでした

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一服する独軍歩哨(クロレオン画)☆休戦時当初パリ地域の状況 パリ周辺では休戦協定に従い独軍がパリの分派堡へ進駐し、これは大きな混乱無く執行されました

 1月29日、協定成立直後に独軍はパリ休戦ライン10キロ後方(以下前哨線とします)まで前進し、包囲網南・西面を担当した独第三軍はマルヌ川とセーヌ川の合流点・シャラントン(=ル=ポン)の橋梁から西へ、セーヌ川ヌイイ(=シュル=セーヌ)の橋梁までのマルヌ・セーヌ両河川左岸、このヌイイ橋からブゾンに通じる街道(街道自体を含みます

現・国道D992号線)までの前哨線に配置され、包囲網北・東面を担当したマース(独第四)軍はマルヌ川とセーヌ川両河川の右岸と残されたジャンヌヴィリエ半島の北側部分(コロンブ、アニエール、ジャンヌヴィリエなど)に配置されました

 各分派堡(とその周辺部)の担当は以下の通りとなります

○モン=ヴァレリアン堡 第5軍団○イッシー(ディッシー)堡 第11軍団○ヴァンブ堡 バイエルン第2軍団○モンルージュ堡 バイエルン第2軍団○オート=ブリュイエール小堡 第6軍団○ビセートル堡 第6軍団○イヴリー堡 第6軍団○シャラントン堡 バイエルン第1軍団○グラヴェルとラ=フザンドリ角面堡 ヴュルテンブルク師団○ノジャン堡 第12軍団(翌30日ヴュルテンブルク師団に変更)○ロニー堡 第12軍団○ノアジー堡 第12軍団○ロマンヴィル堡 第12軍団○オーヴェルヴィリエ堡 近衛軍団○レスト堡 近衛軍団○サン=ドニ市街各分派堡(ドゥーブル・クーロンヌ、デュ・ノール、ラ・ブリッシュ) 第4軍団○ジャンヌヴィリエ半島北部 第4軍団○ヌイイ橋梁周辺 後備近衛師団 これら分派堡や角面堡は当然ながら「外側」に向けて防備が厚くされていましたが、独軍諸隊は各地で急ぎ「内側」に向けて防備を固める工事を開始します(サン=ドニ以外)

これには元々のパリ外堡がパリ内部の異変(市民の蜂起)にも対抗可能なように「内側」に向けても砲門や防御施設の準備があったためその分仕事が捗るのでした

モン=ヴァレリアン堡塁 接収し独帝国旗を掲げる独兵 独軍の前哨線には交代で兵員が配され、協定で解放された諸街道にも交通管制と監視のため検問と兵員を配置します

この街道を通行可能な仏人は仏官憲が発行した書面に独官憲が認証した通行証を持つ者だけでした

 パリでは休戦成立早々に飢餓を救うため独軍は糧食倉庫を開き予備を放出してパリ政府に与えますが、これは全く焼け石に水であり、急ぎパリに向け糧食を運び入れるため、独大本営は諸軍本営・各占領地総督府・各兵站総監部に向け「仏官憲が要望する食料・物品の運搬を助けるため必要とする鉄道・街道を解放し使用させる」よう命令を発しました

また、運河や河川の水運を復旧させるため両軍共に設置した障害物や水雷を除去するのでした

 1月30日に締結された休戦協定の付則条項により独軍が優先利用する主要鉄道も糧食輸送に利用されることとなり、ディエップ~ルーアン~アミアン~クレイユ~パリ線とヴィエルゾン~オルレアン~パリ線、そしてヌヴェール~モンタルジ~モレ~パリ線が仏に解放され、これで輸送は速度・量とも飛躍的に向上しました

独軍余剰の糧食で糊口を凌いでいたパリにも2月3日、待望の糧食輸送一番列車が到着するのでした